吉右衛門の『伊賀越道中双六』
今年最後の歌舞伎は、国立劇場で開催されている『伊賀越道中双六』です。

国立劇場正面は、皇居のお堀です。コブハクチョウが一羽と沢山の鴨がいました。双眼鏡を持ってゆっくりしてみたい場所です。

『伊賀越道中双六』は、剣豪・荒木又右衛門をモデルにした敵討ち物語です。
初代吉右衛門の当たり役に、当代吉右衛門が初役で挑みました。吉右衛門は、さすがです。初役とはいえ満を持して挑む完璧な役作りで、初演とは思えない円熟の当たり役だと思います。
『伊賀越道中双六』は長い長いお話です。全十段で、特に六段目の「沼津」はよく上演され、私達も好きな作品です。今回の通し狂言では、八段目の「岡崎」を44年振り、戦後2度目というめったに上演されない構成でした。「沼津」と「饅頭娘」の段がない『伊賀越道中双六』はどうなんだろうと疑心暗鬼で挑みました。
確かに「岡崎」の段は素晴らしく、全体のクライマックスは「岡崎」にあることがよくわかります。武士道の大義が凝縮された悲哀の場面です。
ではなぜめったに上演されないか?
観てわかりました。敵討ちのために、自らの身分を偽って潜伏していた家の門口に、降りしきる吹雪の中、たまたま来合わせた病と寒さに苦しむ妻と子を身分がばれるのを恐れて見捨て、挙げ句に我が子を自ら手にかけ殺してしまったりと、ここまでするのか?というぐらいの現代の倫理観とは隔絶した当時の武士道の大義。その感覚が理解を超えていました。
今回の通し狂言にはありませんでしたが、「沼津」の段が単独で上演される訳がわかった気がします。しかし、残念なことに「沼津」との話しのつながりがまだ良く理解できません。歌舞伎の時代もの、長編ものは、通しで上演されることが少なく、全編の筋を理解するまでには時間がかかります。『伊賀越道中双六』が、わかるまでにはまだまだ回数を重ねる必要がありそうです。
今年もたくさんの歌舞伎を観ました。もう一度観ておけば良かったと思うもの、もうこの配役では二度と観れないと思われるもの、次にいつ観れるか?もしかしたらもう観られないかもと思うものなど感慨深いものがあります。
そして、たくさん観たことによって、また一段、観る目が養われたと思います。
歌舞伎は奥が深いです。勉強も必要です。歌舞伎役者が小さな頃から修練を積み重ねていくように、観る側も観ることによって修練を積み重ねていく必要があります。
そしていよいよ年末に向けて毎年恒例の今年のベスト10を考える時期になりました。毎年悩みに悩みます!
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